先に言っておくが、これは5年前の話である。そして僕は今でも思っている。あの診断、本当に合っていたのか? と。
いや、結果的には合っていたのだろう。だからこそこうやってサイトを作って書き記しているわけで、反省もしているし、自分がアル中だったことも認めている。ただ、あの日の診断プロセスだけは今でも若干の納得がいっていない。「そんなに飲める人はアル中」という文言が、令和の医学界に通じているのかどうか、誰かGoogleで調べてほしいと今でも思っている。
病院に行くことになった経緯
まず、僕が病院に行ったのは自分の意志ではない。これを最初に言っておかないと話が歪む。
妻がずっと言い続けていたのだ。「あなたはアルコール依存症だ」と。一度や二度ではない。折に触れて、事あるごとに、まるで合言葉のように言ってくる。
「ちょっと飲みすぎじゃない? アルコール依存症だよ」
「また飲んで帰ってきた。アルコール依存症なんだから」
「休日の昼間からビール飲んでる。アルコール依存症じゃないの」
当時の僕の心の声をそのまま書くと——
うるさい。それだけだ。こっちは仕事で付き合いで行っているんだ。接待というものがあるんだ。人間関係の潤滑油としてお酒があるんだ。なんならお前の生活費も俺が稼いできてるんだ。と、心の中ではかなり荒ぶっていたが、口に出すと面倒なので黙っていた。
しかし妻の「アルコール依存症」攻撃はじわじわと続き、ある日とうとう僕は決断した。
お前がそこまで言うなら、プロに聞いてやる。専門の先生に「この人はアルコール依存症じゃありません」と言わせて、その場で妻の顔を見てやる。完全な逆ギレ受診である。
病院へ、不貞腐れながら
当日の朝の僕の態度たるや、なかなかのものだったと思う。着替えながら無言。朝食を食べながら無言。車に乗り込みながら無言。別に怒っているわけじゃない。ただ「俺は正しい」という確信と、「それを証明するために今日という時間を使わなければならない理不尽さ」への静かな抗議として、無言を選んでいた。
助手席では妻がシートベルトを締めながら何か言っていたが、僕の耳には届いていなかった。
病院に着くと待合室には数名の患者さんがいた。アルコール専門外来というのはなんとも独特な雰囲気で、みなさんどことなくよく似た、疲れたような、でも少しホッとしたような顔をしている。僕だけが明らかに「納得していない顔」をしていたと思う。
2時間の問診という名の尋問
まず2時間の問診があった。看護師さんか相談員さんか、とにかく丁寧な方が質問してくれるのだが、内容が段々きつくなってくる。
「普段の飲酒量を教えてください」
「飲んだ後、翌日の記憶が飛んだことはありますか」
「お酒が原因でご家族とトラブルになったことは」
「飲まないと眠れないと感じたことは」
このあたりで僕の心の中は「はい」「はい」「はい」の連続だったが、口から出るのは「えーと」「そうですねぇ」「まぁ」という曖昧な返答ばかりだった。隣では妻が座っており、僕が「まぁ」と言うたびに小さく頷いていた。
お前が頷くな。「飲んだ後、家族に暴言を吐いたことはありますか」という質問では、さすがに「いや暴言はちょっと」と言いかけたが、妻が「あります」と横から即答したので黙った。2時間というのはなかなか長い。終盤には腕を組んで天井を見るような姿勢になっていた。相談員の方、本当に申し訳なかったと今なら思う。
おじいさん先生、登場
問診が終わると、いよいよ医師との面談になった。先生はおじいさんだった。白衣を着て、丸眼鏡をかけた、小柄な、いかにも「先生」という雰囲気のおじいさん。70代くらいだろうか。長年この仕事をされてきた、という重みが滲み出ていた。
僕は内心少し安心した。この穏やかなおじいさんなら、うまく話せば「まぁ問題ないですよ」と言ってくれるかもしれない。ところが先生は椅子に座るや否や、カルテをさらっと眺めて、3つの質問をしてきた。
質問その一。「寝ているとき、汗をかきますか?」
……え? 汗? そりゃかくでしょ。人間だもの。夏なんか特に。「はい、かきますね」と答えると、先生はふむふむと頷いてメモをした。質問その二。「手は震えていませんか?」全く震えていません。ほら、と手を差し出すと、先生はじっと見て「ふむ」と言った。これで一個クリアだと思った。
質問その三。「普段、どれくらい飲まれますか?」
「普段なら7杯くらいですかね」
先生はまた「ふむ」と書く。「多い時は?」
「多い時は……20杯以上ですかね」
間がなかった。「多い時は?」の答えを聞いた瞬間に、先生は顔も上げずにそう言った。え、と思う間もなく「そんなに飲める人はアル中だよ」と続けた。
思わず突っ込む
「先生、それ杯数で決めてるでしょ?!」
思わず言ってしまった。外来でこんなに大きな声を出すつもりはなかったのだが、あまりにも即断即決だったので体が反応してしまった。先生は眼鏡の奥の目を細めて僕を見た。「杯数だけじゃないよ」「それだけ飲めるということはそういうことだよ」。静かな声だった。反論の余地がないような静けさだった。
ここで僕は横を見た。妻が嬉しそうに頷いていた。「だから言ったでしょ」という言葉が口から出るのを必死にこらえているのが、横顔からでもはっきりわかった。
僕は先生に言った。「先生、正直に言いますけど、今からやめろって言われたらやめられますよ。それでもアル中ですか?」
先生は動じなかった。
「まぁ、無理だと思うよ」
は?「やめられますよ」と言っている人間に向かって「無理だと思うよ」とは何事か。しかも断言ではなく、「まぁ」という柔らかさがついているのが余計に腹立たしい。「まぁ」という言葉が「あなたが言うのも無理はないけれど、でも無理だよ」というニュアンスをまとっていて、それが余計に刺さった。
「じゃあ、先生がこれだけやめたらアル中じゃないって言える期間、やめますよ。その期間やめられたらアル中じゃないってことにしてもらえますか」
完全に意地だった。でも負けたくなかった。先生はしばらく沈黙し、腕を組んで、少し考えるように天井を見た。
13日間という戦場
こうして僕の禁酒チャレンジが始まった。動機が「先生を見返す」というのはなかなかアレだが、1週間はそれなりにうまくいった。飲み会の予定もあったが、事情を説明してウーロン茶で通した。同席した人たちは「えっ珍しい」「どうしたんですか」と驚いていたが、「ちょっと体の都合で」と言って乗り切った。
余裕じゃないか。と思っていた。1週間が過ぎた頃、僕は本気でそう思っていた。これで先生に勝てる。妻に勝てる。そして13日目が来た。
13日目の誘惑
その日は僕が慕っている先輩と飲みに行く約束があった。もちろん僕はウーロン茶のつもりで行った。テーブルに着くや否や、事情を説明した。病院でアルコール依存症と言われたこと。2週間飲まなければアル中じゃないことになること。残り1日なので今日だけはウーロン茶で失礼しますと。
先輩は黙って聞いていた。そして言った。
「そんなくだらないことはやめろ」
それだけ言って、先輩はスッとハイボールを僕の前に置いた。高さ15センチくらいのグラスに、しっかりと入ったウイスキーと炭酸。最初から色が濃いめに作ってある。よく冷えたグラスの外側に、じわりと汗が滲んでいた。
「すみません」と言いながら僕はウーロン茶を飲んだ。でも視界にはずっとそのグラスがあった。氷が溶けていく。ゆっくりと、確実に。液体が少しだけ薄まっていく。もったいない、と思った。先輩は黙って自分の杯を飲んでいた。しばらくして先輩がぼそっと言った。
「黙っててあげるから、1杯だけ飲んだら?」
13日ぶりのハイボール
「わかりました、1杯だけいただきますね」
自分でも驚くほどスムーズに言えた。13日ぶりのお酒は、体に沁みた。沁みるとはこういうことかと思った。冷たくて、シュワっとして、喉を通る瞬間に全身の力が抜けた。
うまい。
13日間という時間が一瞬で溶けた。そして1杯では止まらなかった。当然のように止まらなかった。先輩も「まぁ1杯でやめなくていいよ」と言ったし、僕も「まぁそうですね」と同意した。結局その夜は何杯飲んだかわからない。
帰りのタクシーの中で、僕はスマホを取り出した。妻に電話した。
「もしもし」
「ん、どうしたの」
少し間があった。
「僕、アル中ってことでいいです」
長い沈黙のあと、妻は「そう」とだけ言った。それ以上何も言わなかった。「そう」の一言の中に、5年分の「だから言ったでしょ」が詰まっていた気がした。
あの先生について
後日、病院に連絡して結果を報告した。電話口の受付の方は「わかりました、ではまた外来にいらしてください」と言った。先生に勝負の結果を直接伝えることはできなかった。
でも先生は最初からわかっていたのだと思う。「2週間、無理だと思うけど」という言葉の、「無理だと思うけど」の方が本体だったのだ。あのおじいさん先生は、何十年もそういう患者を見てきたのだろう。みんな「俺はやめられる」と言い、みんな同じように飲んで帰ってくる。だからあんなに静かだったし、揺らがなかった。
診断の正確さについては今でも若干の疑問が残っているが、結論は正しかった。
僕はアルコール依存症だった。先輩の目の前のハイボールが、それを13日目にきっちり証明してくれた。
そう言ったおじいさん先生は、たぶん最初からわかっていた。